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船寺神社

八幡大神、天照皇大神、春日大神を
お祀りしております

八幡大神、天照皇大神、春日大神をお祀りしております

船寺神社の成立ち

神功皇后が三韓討伐よりの帰途、当地近海を過ぎようとした時、海上が大荒れとなったため、暫く船を繋いで風波の和らぐのを待ったというお話が残っており、仁和4年(888)に京都の石清水八幡宮の御分霊を勧請し、朝日の豊栄昇る東向きに神殿が造営されました。永保2年(1082)に八幡太郎義家がこの地に八幡宮を建てたのが、船寺神社の起源となります。

やがて厄除東向八幡宮として崇敬を集め、四代将軍徳川家綱が拝殿を寄進しました。昭和20年(1945)の空襲で全焼したが、同41年(1966)社殿が再建され、現在に至ります。

三韓征伐

新羅征伐を前に釣り占いをする神功皇后と武内宿祢。月岡芳年筆

三韓征伐(さんかんせいばつ)は、仲哀天皇の后で応神天皇の母である神功皇后が、仲哀天皇の没後新羅に出兵し、朝鮮半島の広い地域(三韓)を服属下においたとする日本における伝承である。

『日本書紀』では新羅が降伏した後、三韓の残り二国(百済、高句麗)も相次いで日本の支配下に入ったとされるためこの名で呼ばれるが、直接の戦闘が記されているのは対新羅戦だけなので新羅征伐と言う場合もある。『古事記』では新羅と百済の服属は語られているが、高句麗の反応は記されず、「三韓」の語も現れない。吉川弘文館の『国史大辞典』では、「新羅征討説話」という名称で項目となっている。ただし、三韓とは馬韓(後の百済)・弁韓(後の任那・加羅)・辰韓(後の新羅)を示し、高句麗を含まない朝鮮半島南部のみの征服とも考えられる。

御由緒石全文

御由緒
御祭神 八幡大神 天照皇大神 春日大神 
住吉 神功皇后 が三韓よりの帰途海路此の地を過ぎ給う時当地にて風波を避け御船を留め給うたと伝えられ 下って仁和四年(八八八年)石清水八幡宮 より御分霊を迎えて朝日の豊栄昇る東の方へ向け神殿を設け永保二年(一〇八二年) 八幡太郎義家が八幡宮 を造営したのを当神社の起源とする
やがて厄除東向八幡宮として朝野 の崇敬を集め寛文八年(一六六八年) 四代将軍徳川家綱 公が拝殿を寄進 昭和二十年戦災に依り全焼直ちに 仮殿を設けて復興に努め 昭和四十一年新築完成現在に至る

境内末社 船吉稲荷社 岩楠社(楠霊命)
例祭日
一月十八・十九日 厄除例祭
七月第二土・日 夏季例祭
十一月第一土・日 秋季例祭

船寺神社

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お社(やしろ)ご案内

船寺神社見取図

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Funayoshi Inari Daimyojin

厄除

厄除(やくよけ)としてのお参り

当神社は厄年の男女を始め、参拝者の除災招福を祈願しております。
詳しくは社務所までお問合せください。

御朱印も発行しております。

パワースポット@ 船寺神社

Power Spot

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神社仏閣は歴史的な建造物として、大地のエネルギーや霊的な力が集まり、訪れる人に癒しや活力を与える場所とされています。

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